好きな人間のタイプを挙げる時に、「笑顔が素敵な人」とか言う人がよくいます。あれを聞く度に君取は「はァ~?アンタもお子ちゃまだねぇー」と思いますよ。
そりゃもちろん、誰だって心から笑っている顔は見ていて気分がいいですよ。作り笑いですら、ないよりはあった方がいいですわ。だけどそれって結局、自分好みの笑顔というだけではないですかね。
そしてちょっと裏を返せば、「笑顔でない貴方はいりません」みたいなことになりますよね。「悲しんでいる時は自分が笑顔を取り戻させてあげよう」といった愛情表現で、相手が何を理由に悲しんでいるかを共感するよりも、自分がやることに対しての結果を示す指標にしているわけです。
友人関係だとか恋愛くらいの、距離がある関係ならそれでもいいでしょう。社会的にはそういった行動をとるのが人間というものです。しかし家族関係においてはそれではいけない気がします。
喜怒哀楽があるのが人間。人生80年とすると、累計20年は怒りと哀しみになってもおかしくないわけです。いちいち人にそういった負の部分を見せるのはよくないので内に秘めるとしても、どこかに抱えていなくては人間ではなくなってしまいます。
あえて家族にはそこをわかって欲しいなどと言って、家にいる間中ずっと不機嫌そうにしているのも考えものです。家族だからと負の感情ばかりをぶつけたがるのは、自分の損得しか考えていない行為であり、そんなのは外の世界でいくらでも味わっているのに家庭に持ち込む意味がわかりません。
どれだけヒドイ目にあっても笑うことを強要されるのは、誰だって嫌でしょう。まして身内からそんなことを当然のように言われたら、元気を出そうにも妨害される気分です。「オマエの哀しみなんぞたいしたことではないのだ」と暗に示されるようで、結果的に全ての人に心を閉ざすしかなくなります。
落ち込んでいる人に向かって、何か行動を起こせば感情が上向きになると思うのだって、そもそも傲慢です。そんなのは他人でも出来ることであって、普段から接している身内ならではの深い共感力があるはずなのだけど。
愛情を感じる人には、ちょっとした怒った顔だったり悲哀を含んだ表情でさえも魅力的に映るものではないでしょうか。馬鹿みたいに笑顔を求めるのは幼稚化の一種かもしれません。サービス業の接客の笑顔に慣れすぎて中毒っぽくなってるのではないかなぁ・・・。