お遊び感覚の心理テストから性格の傾向を示す検査、病気の臨床試験まで、全ては被験者や本人の感想とか意図によって結果は決まっていきます。こういうものは自覚している本人でないと意味がないので、どんな人であろうと言うことを全面的に信用するしかありません。
だけど君取は思うのです。犯罪者などでちょっとおかしいなという人であれば精神鑑定だとか行うでしょうが、それ以外の人の言うことも本当に全部信用してしまっていいのかと・・・。自分の本音と思惑の境がなくなって、わからないふりをしているだけの人というのも結構いるのではないかと。
大人になるとバカ正直ではいられないのは事実としてあります。しかし結果的に自分が得をし、損する人がごく少数の結果になるのなら、嘘に嘘を塗り固めてそれを本当にしてしまおうという動きが加速しているような気がするのです。しかも「皆の幸せのためなんだよ、ごめんね」というのではなくて「お前が悪いからそういうことになるんだよ、引っこんでろ」の雰囲気になったり。
前々から感じていたことなのですが、性格診断テストとか適職診断テストとかって、行く先々の情勢で出方をコロコロ変えている人では正しい結果など絶対に出ないはずです。どう見ても人目を気にしているのに本人がそれを自覚していない場合も多く、その項目で間違いなく「いいえ」に丸をつける人物など、テストの目的を無視してはなからデタラメでしょう。
昔、高校生くらいの時にこういうテストをめぐって寂しい思いをしました。進路の参考に学校全体で行った性格テストが友人の間で(私の中ではとっくに切れている仲だったけど)話題になり、私の結果を数人が目にして論評めいたことを言い始めました。
ああいうテスト結果の最後には、アドバイスを兼ねたコメントが載っているものです。私の結果には「自分が心を開かなければ相手も心を開かない。そこに注意してこれからの課題としましょう」みたいなことが書かれていました。そこを見た人たちは「あぁそうそうー!やっぱり当たってるよねぇー」とそこにしか触れず、その他私のいいところが書かれた箇所は完全に無視。結局自分の結果は全く見せようとはしませんでした。
私の欠点をさらして確認し決定的にするためだけのテストなんですかねぇ。大事な診断テストを見せた私のどこが「心を開かない」なんだか笑ってしまいますよ。参考程度に見るものだと証明しているようなものでしょうに。それにこの友人ぶっていた関係が人間的にどうしても信用できないものだから、心を開かなくなったとしてもそれはアンタみたいなヤツのせいでしょうがッ。
詐欺師並みの損得勘定を持ち合わせておきながら、意図的なのか無意識なのかそれに気付こうともせず、場面が変われば光回線も追い付かない程の切り替えで過剰な自己演出をしている人々・・・。
次々に場面が切り替わるからその場では何となく流してしまいがちだけれど、家に帰って寝る瞬間とかに、「やっぱりあれはおかしいよなぁ」と思えることがたくさんあります。
正直でなしにただ面白くもない話を延々と多弁に展開し、プライベートなのに自己アピールに終始する会話の人は、いつもいつも抱えきれない違和感ばかりを運んでくる、思惑に満ちた人生なのかと思うと侘びしくなります。