君取は大きな決断ほど早く、ものすごく小さな、ささいな事ほど決心がつかず悩んでしまいます。だから優柔不断とも、決断力があるとも言い切れないあやふやな人間です。
実例を挙げますと、まず人生を方向づける進学や就職、生家を出るかどうかなどの大きなことに関しては、ある程度時間をとって考えたりも当然しますが、結局はあらかじめ固まっていた思いを優先させて、土壇場で出る直感を信じて進んできました。
では一体何で悩むのかというと、日常のどうでもいい一コマなんです。カップ麺を食べる時、今どっちを食べようか、だけで平気で20分かかったりします。
だって、今食べたい気分じゃないものが賞味期限が迫ってたりすると、捨てる羽目にはなりたくないから次に食べる時期まで考えなくてはならないし、その予定なんて急に狂うかもしれないし、なんてことをやっているうちにあっという間に時間が過ぎるんですよー。
ああおバカだわァ、私。。さらにひどい例では、髪を耳にかけるかどうかで思い煩うのです。耳を出すと寒いのだけど、髪がかかっていると暑い、そんな微妙な気候ってあるじゃないですか。私だけ??
つくづく思うのですが、ああだこうだと悩んでいられるのも贅沢な時間の使い方ですよね、先に述べたように、大きな決断はやはり日頃からの積み重なった自分が出るというか、本性が表われます。サバンナでシマウマがライオンに狙われていると知って、逃げるかどうか悩んだりなんかしないですものね。
迷うということは、それをやるかどうかよりも、やることを捨てるかどうかの方が意味合いとして大きいのだと思います。やらなければならない事柄があったら、迷っている時間などないのですから。
どっちをやる方が得か、と常に考えているかのように動くのが人間ですが、実際には「どっちだったら捨てても構わないか」の連続なのでしょう。転職とか結婚とかの重要事項について何年もグルグルと同じ悩みを繰り返し話したがる人などは、今悩んでいられるほどの恵まれた環境にいながら、これからどう選択したら今より状況が悪化するのかを心配しているのです。
自分だけでも安全圏にいたいと願っている欲深い人には、どれだけ幸せの種が近くに転がっているかに気付いてほしいですね。問題が大きいからといって緊急性がないのにくどくどと話し、愚痴る理由にしているだけです。なんだかんだと大騒ぎして自分中心に世界を回したいだけでしょう。
それだったらもっと小さなことに目を向けて、自分の中だけで悩む方がいいよー。