自分の身を危険にさらしながら人の命を救おうとするのは、どんな理由であれ、称えるべき行為かもしれない。だけどもっとやらなくてはならないのは、川で溺れている人を見つけるより前に、今にも溺れそうなところにいる人を溺れさせないよう目配りすることではないでしょうか。これは物理的な溺れのみならず、人間の置かれている状況にもたとえられます。
中でも最も介入しなければならないのが、本人は川に近付きたくもないのに無理やり誰かに連れ込まれ投げ込まれそうになっていたり、集団が囲んで川に入るように強要されたりする場面です。人間が人間を助けることの真の意味はここに極まれます。川で溺れている人がなぜそうなったかを追及するより先にまず救助に向かうように、危ない雰囲気の明らかな弱い者いじめは勇気を出して阻止するべきです。場合によっては関わらない方が断然いい事例もあるけれども、過剰な自己防衛は社会の悪の温床であり、不要です。
特に男性ほど日常にこういう細かな人助けの習慣をつけると治安維持に有効なはずです。それには女性側にもそれなりの意識が必要ですけどね。何しろ今の世の中、人の身に迫った危険には出来るだけ関わらないのが一番の安全策になっちゃってます。それも自分の友達とか、こともあろうに家族のことでさえ他人事にして、ちょっと避けようがない迷惑を被ったくらいで貸しを作った気でいる人間が増殖しているのですから。そのくせそういう人に限って、避けられる迷惑を家族に平気でかけ続けたりして、もうどうなっているのでしょうか。
自分の災難は人一倍気にして大騒ぎするくせに、気に食わない人や家族など身近な人の災難は軽く見るヤツらは、口だけは出してくるんですねー。もっともらしい口調で。川で溺れている人には「何やっているの、水は生活に欠かせないでしょ。贅沢だ!」と言ってさらに水を持って来ようとする。今まさに火事で燃えている家に取り残された人には「何やっているの、火は生活に欠かせないでしょ。贅沢だ!」と言って燃えているところへ燃料を加えようとする。総合すると、何も出来ない赤ちゃんが誰もいない所で泣いているというのに、枕元に札束だけ置いてササッと逃げているようなものですね。
何事も自分の責任として生きることは立派ではあるけれど、難しいことでもあります。そう簡単に自分だけで自分の身を守れるとは到底思えないです。いくら立派な人でも人生の中で絶対に誰かに迷惑をかけながら今日まで生きています。それをいちいち大小で表すのもおかしな話かもしれません。あれは良くてあれはいけない、とすぐ批評に走ったりするから、とりあえずお金を稼ぐことにうまく適応できる人の方が身を守りやすい世の中になっているわけです。金稼ぎが上手な人の中でもそのあたりの良識を持ち合わせていて人間関係を大切にする人は最強ですが、ただの成金根性の人間には困ったものですな。