君取は子供の頃から、早くおばさんになりたいと思っていました。どうも若い女性のフェロモンを発している感じが苦手で、どちらかというと子育て中の母親の雰囲気とか、肝っ玉母さんのようなおおらかさに惹かれます。新妻・人妻なんていう言葉の響きより、ほのぼのとした生活感を好みます。一般的に新妻・人妻の過程を踏むことで安定した家庭が生まれるというのも矛盾ですが、最終的に人間が行き着くところはやはり母性愛だと思うのです。
思い起こせば私は、小さな女の子からおばあちゃんまで、女性を見る時は、「母性があるかどうか」そこしか見ていないような気がします。子供を育てた人は人間を育む経験が多くなるので、自然と母性に近づきやすいものですが、そうとも言い切れない部分もあります。要は優しさと強さを合わせ持っているかどうかなのです。
昔から女性は強くないと生きていけなかったと思います。今ももちろん、選択の幅が広がったこともあり、より一層強さが求められています。それはそれで喜ばしい反面、優しさはどこへ行ってしまったのでしょうか。優しさと聞くとすぐ、そんな甘いこと言ってんじゃないよと噛み付いてくる人々がいます。優しさと甘さは別物なんですけどね。
むしろ人に厳しさばかりを求める人の方が甘えた考えを持っていることが多かったりします。自分が甘えたい分、人の優しさを目にするとその欲が自分の欠点としてそこに映り込み、否定せずにはいられなくなるのでしょう。こういう人は自分の都合がすべてなので、自分にとって都合がいい存在でありさえすれば急に手のひらを返したように人を甘やかし始めます。
これは男の発想です。というより、極めて未熟な行動です。それでも男社会では、一時的ではあっても通用するかもしれません。男性の大きな役割である現金収入は主体の組織があれば人の入れ替えも自由ですし、利益で結び付いている部分が多いからです。でも女性が子育てをするのに、子供との相性が悪いからといって逃げることは一生出来ません。かといって親に子供を支配する権限もありません。最後に必要なのは優しさになります。優しさも、すべてを受け入れるという意味で強さだと思います。
女性が男性化せざるを得ない社会は、少子化から人口の減少につながり、結局滅びる方向へ向かうと思われます。だからこそ今、ヲバサンは母性を見直したいです。おばさんと呼ばれることに抵抗がある女性は多いようですが、それは男性の、特に考えが狭く浅はかな種類の男性による陰謀です。おばさんという文字列に悪いイメージをすり込んで一般化させ、男というだけで優れているかのように錯覚したい連中の罠にかかってはいけません!素敵に年を重ねるヲバサン像を創っていこうじゃありませんか。若くて母性がある女性もいるかと思います。だからといって見た目の美しさだけが女性の理想像とするのはちょっと短絡的で考えものです。女神はより人生経験を積んだヲバサンの進化形ともいえるのです。